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石井製作所による東京タワー(1961年頃)

石井製作所の東京タワー

 

清四郎が残した作品名不明写真の中から、模型写真をご紹介します。

かなり大きさのある東京タワー(と思われる)ですが、作品名は分かっていません。元々の写真はセピア色ですが、サイトで公開するにあたってモノクロに加工しております。

ちなみにモスラ(1961年 昭和36年)の東京タワーは戸井田工業さんが作られているということは存じております。

 

石井製作所の東京タワー2
石井製作所の東京タワー3

 

年代は残されたメモやアルバムに貼られた写真の並び順から推測しています。

この写真は1961年頃の物と思われます。石井製作所前の道での作業で、現在の渋谷区神宮前6丁目辺りですね。その頃は穏田(おんでん)と呼ばれていました。

1932年(昭和7年)に東京市が15区→35区に拡大した際東京市に編入され、同市渋谷区穏田となり、東京特別区成立後の1965年(昭和40年)に住居表示が施行されたのに伴って穏田の名は住所から消滅した。このときに隣接する原宿、及び竹下町の町域とあわせて「(東京都渋谷区)神宮前」(一部は同区渋谷)に代わり、現在に至る。

Wikipediaより

石井製作所の東京タワーと石井清四郎
石井製作所の東京タワー5

 

写真右側の小柄な男性が倉方茂雄さんです。以前管理人が倉方茂雄さんにこの写真について伺ってみましたが、まったく記憶にないとのことでした。

上の写真左端が清四郎の妻雪江。いい笑顔です。塗料を吹き付けているのが清四郎です。

このように製作所では外で作業をすることもあったようで、見物してる人も映っています。子どもたちがわらわらと集まることもあったのではないでしょうか。

 

最後にこのタワーについての親族からの証言を記載しておきます。 

「モスラの東京タワーと聞いている」(清四郎の息子・良)

「私の記憶ではザ・ピーナッツが出ていたモスラの映画で使っていた物ではないかと。家族で映画館で観ていてそう言われましたが定かではないです。」(清四郎の娘・M)

このタワーが一体なんの作品に使われたのか、今後判明することはないと思います。ま、それでも別にいいんじゃないかと思っています。

 

 

ということで管理人イチオシのお気に入り写真をご紹介しました。

次回も引き続き、不明作品写真を公開予定です。