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祖父・石井清四郎

祖父・石井清四郎

家族で祖父の家に泊まりに出かけたのは、おそらく私が9才になった辺りまでだと思う。

 

祖父・清四郎の記憶としてまず最初に浮かぶのは、お弟子さんや清四郎の家族とで賑わっていたであろう石井製作所の、その面影をかすかに残した工房と、あの原宿の家なのだ。

 

薄暗くて極端に急な階段。

隣の美容室から漂う独特なパーマ液の匂い。

子供には大きすぎるほどの、硬いマットレスの敷かれたベッド。

黒くてぶ厚いカーテンのすき間からもれる朝日が、部屋に舞う埃を輝かせる・・・

 

増設を重ねた古い木造の家のトイレの奥に広がっていた、使われていない工具が土埃にまみれていたあの場所。

夜になるとトイレの奥には暗闇の世界が広がり、子供心に怖くてしかたなかったあの工房。

夜中にトイレに起きるかもしれないという恐怖に怯えながらも、祖父の家は私の記憶の中で強烈過ぎるほどの足跡を残している。

 

もちろん、怖かった思い出ばかりではない。

 

苺の形をした外国の砂糖菓子を買ってもらうこと、近くのキディランドへ出かけることは特別なご褒美のようで、祖父の家に行くことは楽しみの一つだった。

祖父の吹くハーモニカは、大草原の小さな家のお父さんみたいで、ハイカラだと思った。

外国人にも臆することなく話しかける祖父のことも知っている。

祖父が作ってくれたドールハウスは、今も私の手元に残っている。

 

ある時祖父がふらりと保谷のアパートまで自転車で訪れ、孫である小さかった私を後ろに乗せ、原宿まで連れ帰ることがあった。

この時祖父の撮った写真は、孫を愛する思いで溢れていたと、今になってみるとそう思う。

 

小さかった時の記憶そのままに、ある時期から祖父と会うことはなかった。

病気であると聞かされていた祖父。昔のことを聞き出す機会もなくこの世を去った。

祖父のことを尊敬し、いつも自慢げに話していた、長女であり理解者でもあった私の母も今はこの世にはいない。

 

今私が唯一出来ることは、祖父の残した功績を纏めること。

 

祖父の足跡を知る。

それは私がこのサイトを始めた理由、その一つでもある。