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父・石井清四郎

模型と良

はじめまして、石井清四郎の末っ子長男の石井良と申します。

2014年、現在61才、初代ゴジラより1才年上の7月7日朝7時生まれのトリプルセブンです。

おぎゃあと生まれた朝7時、渋谷東横デパートの時計台の時報がちょうど鳴ったそうです。

故円谷英二氏も同じ7月7日生まれだと「青島要塞爆撃命令」という東宝映画のロケ地で、父にそう紹介された事を覚えています。

(管理人注:円谷氏の戸籍上の誕生日は7月10日とのこと)

 

私の家では、私の生まれる前からミニチュアを作っており、それが当たり前と思って育ったので、特に変わった事とは思っていませんでした。しかし、テレビで初めて「ゴジラ」を観た時、子供心にも「特撮」というものを意識し始めたようです。

そして映画好きな少年となり、高校生となり、試験があると大喜び。というのは、試験があれば午前中で帰れるので午後映画を観に行けるという訳なのです。

社会人になってからも暇さえあれば映画を観に行きました。特撮シーンがあれば上手いとか、下手くそだ、などと考えながら観ていました。

やがて引っ越しをしたため映画館から足は遠のきましたが、特撮映画との縁は切れませんでした。古本屋で日本の特撮映画の本を見付けては買い込み、暇を見ては読み更けり、あんな映画もあった、こんな映画もあった、などと懐かしんでいました。

 

そして月日は流れ、父が死にました。

ある時姪からネット上に石井清四郎という名前が出ているという事、詳しいことは分かってないと言われている事、写真をツイートしたところ反響が凄かった、と聞かされました。そしてその場に居た親族の同意の下、姪がまとめ役を引き受けてくれる事となったのです。

 

その後、手元に残された僅かな資料を改めて見直した所、自分が知らない父の姿が浮かび上がってきました。

なるほど、こんな事を若い頃やっていたのか。これならば、特撮界で知る人ぞ知る、と言われても無理はないか、と思えてきたのです。

 

何せあまりにも資料が少なく、どこまで正確な情報をお届け出来るか難しい所ではありますが、一人の特撮人の描いた功績を、このホームページ上で辿ってみてください。