前回の記事では倉方茂雄さんへの質問を中心にお伝えしました。
今回は倉方さんが石井製作所への入社を決めた、ある模型についてお送りします。
この模型はどういった用途で作られたのか不明でしたが、倉方さんの証言により、実機を制作する前の試作機ということが判明しました。
石井製作所への入社を決めたグレーダー
倉方:私はこれが気に入っててね。
石井:これは何用だったんですか?
倉方:これはグレーダーですね。本物を作る前に模型を作ってね。本物が上手く動くかどうか小さいのを作って、動きをチェックするためのモデルと言ったらいいのかな。そういう模型なんですよ。修理か何かでたまたま石井製作所にあったのを私が偶然見てね。それで「あ!いいなあ!」と思って、それで石井さんのところに入ろうと思ったの。
管理人:これは清四郎が作ったものなのですか?
倉方:兄さんがいたでしょう。兄さんと一緒に作ったのかもしれないですし、それは分からないんですよ。絵描きの親戚の方も隣に住んでいましたけど兄さんの方が機械をやってましたよね。
~中略~
石井:これ見たことありますか?(飛行機模型の写真)戦前は兄の清一と父と一緒に模型飛行機を作っていたんですよ。
倉方:いや、あの頃は兄さんとは全然一緒にはやってなかったんですよ。
(清四郎は)けっこう細かく作るんですよね。だからよく船なんか作っても下は出来ても上モノが間に合わなかったとか、よくそういうことありましたよ。みんなが帰ったあともコツコツ一人でやってたんじゃないですかね。
管理人:倉方さんから見て清四郎の仕事ぶりというのはどうだったのですか?
倉方:それはもうやっぱり真面目っていうかね、一生懸命で、自分でやらなきゃ気が済まないの。
管理人:職人気質、みたいな感じなんですかね。
倉方:そう、もちろんそうです。だから私もそういうところ受け継いじゃってね。
管理人:なるほど。
倉方:怪獣なんかも一人でやったりしてね。
管理人:注文以上のことをやるタイプだったのかな、というのは想像ですが作品を見て思うんですけれども。
倉方:そうだね、手抜きっていうのは出来ないよね。やっぱり人に見られて恥ずかしくないものを作りたい、という考えなのね。
管理人:このトラックの写真を見ても、爆破されるのにここまで作りこむっていうのはやっぱり職人気質でないと出来ないんじゃないかな、というのは感じていました。
倉方:でもこの頃はそれだけ予算も出してくれてたんですよね。
小沢:話が戻りますが、倉方さんはどういうきっかけで石井製作所に入られたのですか?
倉方:(きっかけは)モーターグレーダーですね。町工場にいた人が石井さんのところで働いてたの。(石井の)親戚の兄さんが町工場にいたので、その関係で石井さんに頼んで、その繋がりで紹介してもらったの。
小沢:それは模型的なものが作りたいという気持ちがあって紹介してもらったんですか?
倉方:あの頃は明けても暮れても毎日旋盤やってて、自分で嫌になっちゃっててね。おんなじことの繰り返しでね。元々模型が好きだったからね。
小沢:この時の石井製作所さんは模型とランプを併行して作ってらっしゃったのですか?
倉方:はい、そうです。
小沢:郡司模型さんはこういう模型を米軍基地で売っていたと言っていましたが。
倉方:売るための模型ではなくあくまでも撮影用の模型です。一番最初は松竹でしたね。
小沢:石井製作所さんでは映画ものだけで、模型は売ってらっしゃらなかったんですね。戦前は売ってらっしゃったんですよね。
石井:そうですね。
倉方:私はその頃(戦前)のことは分からないです。
小沢:ではやっぱり川上監督との・・。
倉方:そうですよね、川上景司さんと円谷さんとの繋がりですね。
小沢:倉方さんが石井製作所にいらっしゃった時には既に川上さんと清四郎さんとはお知り合いだったのですか?
倉方:そうですね。
小沢:石井清一さんと川上さんとはお知り合いだったんですか?
倉方:いや、それはないと思いますよ。
小沢:清四郎さんと川上さんは戦争中からのお知り合いだったということですね。
倉方:そうです。
次回は石井製作所で作られていたテーブルランプについてお送りします。