前回の記事からまたまた数年経過してしまいました。
みなさまご無沙汰しております。管理人(孫)です。
前回からこれまでの間、私生活では様々な出来事があり、更新はおろかコメントの返信もXも手付かずな状態が続いていました。次の記事を楽しみに待っていて下さったみなさま、ごめんなさい(汗
前回の記事では作品名不明の模型として石井製作所製の東京タワーをご紹介しました。
数名の方から〇〇ではないか?というコメントをいただきました。親族からはモスラの東京タワーだ、ザ・ピーナッツの出てくる映画だ、と聞かされていましたが、モスラの東京タワーではない、というのは既にはっきりしています。
分からないながらも自分自身でリサーチし、そうかな?と思っていた作品名を数名の特撮に詳しい方々に言っていただけました。本当にありがとうございます。
一体何の作品なのか?この場ではっきりと言及することはできませんが、現段階では各方面からお𠮟りを受けていませんので作品名不明写真として公開状態になっています。(そのうち画像の取り下げもあるのかも?)
ダグラスDC-6の模型
さて今回の不明作品の模型は日本航空ダグラスDC-6 JA-6201です。この機がダグラスDC-6だとしているのはwikiにそっくりな画像が掲載されているからです。(アメリカのダグラス社の開発した大型レシプロ旅客機。1947年初飛行。)
まずは実機DC-6(B)の運用がいつから始まったのか?という所から調べてみますと、国内線としては1953年から、国際線は1954年から1969年まで日本航空の主力機として活躍したとあります。
こちらの画像はネガフィルムからとなります。画像は3枚、+αです。色の加工、細部の加工はしておりません。
この模型、よく出来ているとは思いませんか?ボディにはJAPAN AIR LINESの文字。特徴的な尾翼には縞模様と日本国旗。主翼の裏側にはJA-6201と書かれています。1枚は合成されたように重なってしまっているのですが、清四郎の妻が模型を掲げている様子が分かります。手に持っている様子から察するに、女性でも軽々と持ち上げられるサイズ感です。かなり小さいです。
年代は不明ですが、アルバムには実機を撮影した写真も貼り付けてありました。これを元に模型を作成した可能性はあります。(鉛筆で書かれた文字は長男・良のもの)
何年に撮影されたものなのか?
さて、この写真がいつ頃撮影されたものなのか?という重要な部分を探ってみたいと思います。
長男・良が同じフィルム(2枚組の大判のネガでした)に並んで写っています。
彼は1953年昭和28年生まれです。この写真が何年に撮られた物か清四郎の次女に確認したところ、1955年の夏、良が2歳になった頃と教えてもらいました。ということで1955年の夏にこの模型は完成していた、と言っていいと思います。
1955年、考えられる作品は?
以前X上で大怪獣バランにはDC-6が出てくる、と情報をいただきまして、本編を確認してみましたが、ハッキリとそう、という確証には至らないのでした。尻尾で破壊される機体は大きさからしてどうも違うように見えますし。ただ、ジープや戦車が画面を通り過ぎる背後にチラチラとそれらしき機体は映り込むのですが、肝心の尾翼が見えないので何とも言えません。可能性は無きにしも非ずと言った感じです。50パーセント位は同じもの、と言えそうな感じではあります。ただ大怪獣バランは1958年ですから少し後、となりますね。
清四郎の遺したアルバムを見てみると、松竹作品の忘れえぬ慕情(1956)喜びも悲しみも幾年月(1957)とほぼ同じページの下の隙間にこの模型写真が貼り付けられていました。もしかするとこれら作品のためのものかもしれませんし、そうではないかもしれない。
あくまで想像になりますが年代から考えると他の作品のために作られ、バランでも利用された、とも考えられないでしょうか。幸い良が残した仕事歴のデータにはバランに関わったことになっています。(詳細不明として)
この年代に石井清四郎が関わった作品として挙がっているのは
1955 ゴジラの逆襲(東宝)
1956 空の大怪獣ラドン(東宝) 忘れえぬ慕情(松竹)
1957 白夫人の妖恋(東宝) 喜びも悲しみも幾年月(松竹)
1958 大怪獣バラン(東宝)
映画の内容からして白夫人~は考えにくい。ゴジラの逆襲には出て来ないようです。松竹作品もちょっと違うかも・・・?(本編未確認です)
特撮に詳しい方がいらっしゃいましたらぜひご意見をお寄せください。コメント欄を開けておきます。(承認後の公開となります)
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