ウルトラQで石井清四郎が操演・美術を担当したことはある程度知られていると思うのだが、オープニングの文字が渦巻くあの印象的なタイトル(装置)の制作も石井清四郎である、ということはどの程度知られているのだろうか。
母が見ていたウルトラQ
清四郎の長女である私の母は子供の頃、自宅の暗くて急な階段の一部のすき間から、夜になると作業場(石井製作所)をいつもこっそりと覗き見していたらしく、まさにその様子を目撃していた。
その装置が丁度出来上がったという真夜中、こっそり覗いていたつもりの母は清四郎に工房まで来るよう呼ばれ、その装置の動く様を一緒に見守った、と楽しそうに話してくれた。
その時撮影はどうしていたのか?などの謎は残るのだが、娘である私は小さい頃から母にそう聞かされており、現在に至っている。
母は度々円谷作品の撮影現場に訪れていたらしく、このようなエピソードを語ってくれたことがある。
22話「変身」はある男性が珍種のモルフォ蝶を追いかけ、森の中で大量の燐粉を浴び巨人化してしまう、簡単に言うとそういうストーリーである。その巨人役の男性の胸毛がうかつにも電線に引っかかってしまい、緊張感溢れる撮影現場に威勢よくカットのかけ声がかかり、NGとなったのだそうだ。
些細なエピソードではあるのだが、少女時代の母とってこの体験はよほど印象的な出来事だったらしく、実に楽しそうに語っていた。
その後母は清四郎の仕事に憧れてか、同じ円谷プロでゼロックスコピーのアルバイトをするようになったとのことだった。
ウルトラQのタイトルについて
ウルトラQのタイトル(ネーミング)は祖父が考案した。これも母から聞かされていた話なのだが、ネットで調べてみてもそのような記述はどこにも残されていない。
円谷英二氏にタイトルについて相談された祖父が、当時の体操のウルトラCにちなみ、Cよりも凄いもの・・・ではQで行こう!と提案し、円谷氏がそれを取り入れた、ということなのだが実際はどうだったのだろうか。果たして解明される日は訪れるのだろうか?
円谷プロからの退職
清四郎はウルトラQの制作途中で、当時のお弟子さんであった倉方茂雄氏にも打ち明けず、突然現場から姿を消す。実際のところは体調不良によるものであり、自らの決断により退職した、と息子の良は語っている。
過酷な現場であった、という話を耳にしたこともあるが、どのような理由があったにせよ、愛すべき現場を去らねばならなかった祖父の心情はいかなる物だったのだろうか。
ウルトラQ担当話数
石井清四郎が関わったのはクモ男爵までと言われている様だが、名前がクレジットされている16作目(制作順)まで、美術と操演を担当していたのではないか、と純粋に私は考えている。放送順と制作順に注意してみて欲しい。
石井清四郎関連作 放送順(※カッコ内制作順 )
1話 (12)「ゴメスを倒せ!」操演
2話 (7) 「五郎とゴロー」操演
3話 (5) 「宇宙からの贈りもの」美術
4話 (1) 「マンモスフラワー」美術
5話 (14)「ペギラが来た!」操演
8話 (10)「甘い蜜の恐怖」操演
9話 (13)「クモ男爵」操演
11話(16)「バルンガ」操演
12話(6) 「鳥を見た」美術
14話(15)「東京氷河期」操演
17話(8) 「1/8計画」操演
22話(2) 「変身」美術
25話(3) 「悪魔ッ子」美術
27話(9) 「206便消滅す」操演
28話(4) 「あけてくれ!」美術
上に記した話数のオープニングで、石井清四郎の名前を確認することが出来るはずだ。
当時は白黒で放送されていたウルトラQも、今は総天然色ウルトラQとして見事に着色しカラー化され蘇っている。
石井清四郎が残した足跡を、ぜひこれらの作品の中で確かめてみて欲しい。
情報提供: 大橋学、石井良